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【転職歴7社目】私のキャリア、転職回数、年収などについて

 

さて、年は明けて2009年1月になり、野村證券のオフィスに移り、いよいよ野村證券での業務開始です。

 

野村證券の組織構成

 

野村證券はCFOの管轄下に主計部、税務部、財務部などがあり、これらがリーマンブラザーズでいうところのファイナンス本部と同様の機能をもった部門になります。主計部、税務部、財務部など全て同じフロアに位置していたので、そこにリーマンブラザーズの各社員が合流することとなりました。当然ながら野村證券は日系企業ですので、日本における社員の大多数は日本人です。そこにいきなり多くの外国人社員がいるリーマンブラザーズが合流してきたので、文化的なところも含めてそれは大変だったと思います。特にバックオフィスは外国人が多いので、野村證券のバックオフィスの人たちは対応するのに大変だったと思います。

 

統合の結果

 

統合したは結果どうだったかというと、やはり違う企業文化をバックグラウンドに持った同士の統合となり、上手くいかなかったチームが多かったように思います。フロントオフィス、ミドルオフィス、他のバックオフィスの部署はどうだったのか分かりませんが、ファイナンスに関しては決して上手く融合したとはいえない状況だったと思います。

 

人レベルで見ていくと、上手くやっている人もいれば、上手くやっていない人もいました。比較的、日本人社員は上手くやっている人が多かったように思います。どちらかというと外国人社員の方が、なかなか野村證券の文化に馴染めなかった人が多かったです。当然ながら彼らにとって最初にくるのはコミュニケーションの難しさだったと思います。リーマンブラザーズは社内公用語が英語でしたので、日本人も全員英語は話せました(当然、上手い下手はありますが)。一方で野村證券の公用語は当然ながら日本語ですので、会議などは日本語でおこなわれます。そこで頭を悩ませている元リーマンブラザーズの外国人社員は多かったです。

 

私のいたチームはどうだったかというと、全員が比較的上手くやっておりました。私がリーマンブラザーズに入社した当時の上司と同僚は異動もしくは退職をしており、野村證券に移った時点での上司と同僚は入社時とは違うメンツになっていました。彼らは人間的に良い人たちだったというのと、野村證券側の人たちも協力的でしたので、私のいたチームは上手くできていた方だと思います。チームによっては統合が上手くいかなかったチームもありました。そういったチームでは、最終的に元リーマンブラザーズの社員は他社に転職していってしまいました。元リーマンブラザーズ社員といっても日本人はそれなりに上手くやっていたと思いますが、やはり外国人社員は文化の違いやコミュニケーションの難しさなどもあり、最終的に転職していった人たちは多かったです。

 

大型企業同士が一緒になることの難しさはあり、企業文化の融合、新しいワークフローの確立、グローバルネットワークの強化など、この買収に関わった社員全員が多かれ少なかれ新しい挑戦をしなければいけない状況でした。

 

私個人としてはリーマンブラザーズの社風が好きだったので残念な気持ちがありました。今から考えても私の数多い転職歴の中で、自分が一番愛社精神や誇りを持って働けたのはリーマンブラザーズでした。人生にタラレバはないですが、もしリーマンブラザーズが破綻いなければ、私のサラリーマン人生も違ったものになっていたかもしれません。

 

リーマンブラザーズが破綻したのは残念でしたが、一方で野村證券という証券業界では日本一の企業で働く機会を得れたというのはとても大きかったです。やはり野村證券での業務のやり方や業務フローというのは、日系の証券業界のスタンダードであったと思いますし、また野村證券で経験を積めたというのは自信にもつながりました。

 

野村證券での仕事環境や企業文化にも慣れてくると違和感は特に感じなくなりました。

 

転職のお誘い

 

野村證券に移って1年以上が経過し、色々な事に慣れてきた頃でした。ある日、リーマンブラザーズ時代にシニアヴァイスプレジデントだった外国人から連絡がきました。今度カフェでお茶でもしようという話でした。この人とはリーマンブラザーズ時代、同じファイナンス本部にはいましたがチームは違いましたし、そもそもこの人の方がタイトルも全然上でしたので、日々一緒に仕事をすることはありませんでした。その後、野村證券へ移ってきた際に、席が近くになったこともあり多少は話す機会もできた程度です。この人は野村證券に半年程度いましたが、その後、他の外資系証券会社のある部のヘッドとして転職をしていきました。

 

カフェに呼ばれるということは、「もしかして転職のお誘い???」という期待を持ちましたが、あまり期待して実は「野村證券はどう?」的な日常会話で終わったらがっかりするので、過度な期待は持たないようにしました。この人は野村證券からイギリスのバークレイズ証券のファイナンス本部に転職をし、ファイナンス本部の中のプロダクトコントロール部でヘッドをしているとのことでした。最初は「仕事はどう?」的な日常会話から始まりましたが、話が進んでいくうちに「私がヘッドをしている部でひとつポジションに空きがあるのだけれど、インタビューを受けないか」と誘われました。野村證券での仕事や人間関係に特に不満は無かったのですが、もう一度外資金融で仕事がしたいと思ってもいました。せっかく外資金融に転職したのに1年で会社が破綻しましたから、何とも不完全燃焼な気持ちはずっと持っておりました。

 

考えた結果、後日バークレイズ証券のインタビューを受けることにしました。正直、私にインタビューのオファーをくれた人が、この部のヘッドだったので、よほど酷い内容の受け答えをしない限りは受かるだろうとなとは思っていました。結果は無事に内定を貰えました。そして年収ですが、私の期待を上回る年収が提示されました。提示された金額は、確かその時の私の基本年収の約1.5倍程の金額でした。タイトルは野村證券の時と同じアシスタントヴァイスプレジデントでした(ちなみに、このアシスタントヴァイスプレジデントというタイトルは、後に野村證券では廃止されアソシエイトというタイトルで統一されました)。後から聞いた話ですが、この1.5倍された金額が、当時の外資系証券会社のファイナンス関連の部門における同タイトルの市場平均だったそうです。私の場合、会社が破綻したことも影響して、ほぼ昇給無くタイトルだけ上がったかたちになっていましたので、これは想定外であり非常にありがたい条件提示でした。

 

金額だけ見れば迷いはないはずでしたが、やはり外資金融といえばリストラのリスクがつきものですので、やはりその部分は不安要素でした。さらには辞職の意思を表示した後、野村證券側からも慰留されたのでかなり迷いましたが、最後は年収が決め手となって転職を決意しました。

 

当時は自分で意識していたわけではないのですが、この頃から転職の最大の軸が年収に変わっていたと思います。トーマツに入る前までは転職の軸はスキルアップでした。トーマツからリーマンブラザーズに転職した頃から転職の軸が年収になっていたと思います。年齢的なものを考えると不思議ではないのですが、今から考えると色々と思うところはあります。ここら辺はまた別記事にしたいと思います。

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 danshu

リーマンブラザーズ証券、野村證券、モルガンスタンレー証券など10回以上の転職を経験。実体験に基づいたリアルな情報を発信していきます。

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